生命と命の違い

生命と命は、似て非なるものだと考えるべきです。

ある病院の理事長は、「生命は生きる力」「命は生きていく力」であり、異なるとおっしゃっています。

生きる力と生きていく力は、同じように見えて別のものです。

生きるとは、英語で言うexistという表現になると思います。

生きていく力は、英語で言えばlive です。

前者は、呼吸が止まり、脳が止まった時点までの命を指し、

後者は、死後何年、何十年と人々の記憶に残り続ける命を指しています。

私たちが、新型出生前診断でいう「命の選別」とは、正しく言えば「生命の選別」です。

中絶したからといって、その子どもが存在したことは、夫婦なり医療従事者の記憶には残り続けます。

生命の選別といえば、私たちが豚肉、牛肉、魚の「生命」を頂いて、「生命」を伸ばし続けているように、生命の選別は日常的に行われています。

また、鶏の肉は食べても、カラスの肉は食べません。

これもまた、生命の選別です。

新型出生前診断=生命の選別というのも、
正しく言えば異なりますが、検査を受けるタイミングが悪く、確定診断の羊水検査を受けられずに、結果として新型出生前診断の情報を基に中絶することがあるので、生命の選別であるとも言えます。

何が言いたいかというと、

私たちは、毎日「生命」の寿命を伸ばしたり、それらの尊い命を頂いて生き延びているわけです。

こうした生命の駆け引きというか、やりとりの中で

新型出生前診断は命の選別をする検査

中絶を促す検査

という誤った考え方をしてしまうと、
私たちが行なっている生命をいただく行為にも、問題が出てきます。

それこそ、動物の命は奪われて当然。

人間の命は大切にされて当然。

という偏った考え方に至るわけです。

でも、人間がこうして生き延びているのも、「生命」をくれた動物たちが居たからで、私たちは彼ら抜きで生き延びることは出来なかったわけです。

私たちが動物にしていた「生命の選別」を、
遺伝子治療の前段階とも言える新型出生前診断で、私たち人間同士で行うものに変わって来ています。

世の中には、やはり障がいを持つ子どもを良く思わない方もいるわけで、夫婦は産みたいけど、親戚に批判されたりと色々と問題があります。

その駆け引きとして、障がいは、生まれつきだけでなくて、後天的になるケースもあるから、障がいがあるから中絶するというのはどうなのか?

という意見もあります。

ただ、一つ言えることは
「正しい情報提示と、正しく個人にカスタマイズされた情報が、

夫婦にとってベストな選択ができる。」

ということになります。

第一子が、ダウン症で

お腹にいる第二子がダウン症陽性ならば、

中絶するという苦渋の決断をしても、責められることは出来ないのです。

先天性の障がいというのは、軽度のものから重度のものまで様々です。

〇〇症候群と言えども、症状の程度にも個人差がありますし、症状が出る出ないという違いもあります。

これと、後天的に障がいが見つかったり、事故で障がいを追うことを天秤にかけるのは、

ちょっと無理がある。

というのも、先天性のものと後天性のものは、

予測できるかどうかという点で大きく変わります。

後天性のものは、予測することは難しいと思います。

ですから、後天的に障がいを持ってしまったことは時間をかけて受け容れることが必要になるでしょう。

しかし、先天性のものは今では新型出生前診断というもので情報を知り得ることが出来ます。

生まれる前に、障がいを予測してどう対応して行くか?どうしていくか?を決めることが出来ます。

新型出生前診断で陽性と言われても、お産まで持っていき、生まれた時には染色体異常がなかったというケースはあります。

ただ、それから大きくなるに連れて、症状が見られるようになる場合もあります。

こう考えると、障がいがあるかどうか?

で悩んでいるのではなく、

「産まれるというスタートダッシュで、我が子に良いスタートを切ってほしい。」

と願う夫婦が多いということだろう。

スタートダッシュに遅れたからといっても、後から取り戻すことはできるかもしれない。

ただ、そこに障がいというハンデを背負った子どもをどうやって立派な大人にしていくか?夫婦は、悩んで悩んで悩み続けるわけです。

表面的には、障がいがあるかどうか?で中絶を選択していると考えているが、

真相は、やはり「自分たちや子どもが将来抱える不安や恐怖に慄いている。」ことが

中絶の理由だと思う。

障がい者に対する差別意識を持っている方はまだ多くいると思います。

でも、そういう人たちは、障がい者の方と交流したことが無かったり、全てが健常者と比べて劣っていると勘違いしていることも確かです。

障がいを持っている人の方が、そうでない人と比べて能力が高まることも多々あります。

目が見えないという障がいは、反対に聴覚や触覚という他の感覚を研ぎ澄ませて、有名なピアニストになれることもあります。

障がいがあるから中絶したいと思う夫婦が存在することは、悪いことではありません。

ただし、考え方が一方向に偏らないことが大切です。

さまざまな話をして来たが、どんな選択をしたとしてもそれは責められるものではないという事です。

生命と命は、別物だと考えること。

正しい情報と、個人にカスタマイズされた選び方というものが、この世に存在していないから、「命の選別」だと言われているだけです。

もし、新型出生前診断を受けて陽性の場合、中絶する割合が60%を切れば、

新型出生前診断は、何と言われるのでしょうか?

アメリカのように、州政府が新型出生前診断を安価に受けられるようにして、そして社会的サポートも充実している社会。

健常者と障がい者が同じ会社に勤め、同じような給与をもらう社会。

新型出生前診断の普及と、中絶率の変化が見られる頃には、日本がもっと社会になっていると思う。

ただし、今できることは中絶率を下げることではなくて、新型出生前診断の普及、そして正しい情報提供と、個人にカスタマイズされた選び方を提示してあげることだと思うのです。

その結果として、中絶率が下がるわけで、それも相まって社会的にサポート体制が改善されていくわけです。

こうして社会は変わるのです。

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