日本では、今高齢化に伴って、2050年に団塊の世代が後期高齢者になるためにありとあらゆる対策を立てています。
いま、日本で問題である医療費の拡大をいかに縮小させるのか?
ここに議論があるわけです。
諸外国とは比にならないほどのスピードで少子高齢化が進んでいます。
この状況で、新型出生前診断による選択的中絶の法整備は二の次になっています。
また、憲法の問題もありますし、2020東京オリンピックに向けた制度改革も為されています。
そうです。
日本社会は、経済によって支配されていて、日本に住む国民の普段の生活に対する意識よりも、日本が世界としてどういう地位でいるべきなのかに必死なわけです。
別に、政治を批判しているのではなく、これは当然というかグローバルの時代には必要なことなのです。
ですから、新型出生前診断に関する法整備が遅れてしまうのも納得なのです。
ただ、法が整備されていない中で、新型出生前診断によって選択的中絶がなされても良いのか?
というのが、批判の多くだと思います。
では、法整備によって、選択的中絶が法令化された場合、中絶する割合はもっと増えると思うのです。
現にアイルランドは中絶が合法化されました。
国が新型出生前診断の費用を全額負担します。
陽性だった場合の中絶率はほぼ100%です。
アイルランドは、障がい者の保障よりも新型出生前診断の費用を負担する方が、良いと考えているとも考えられます。
もちろん、中絶はできないという法整備をした場合、国は障がいを持って生まれた子どもに一生涯の手厚いサポートを提供しなければなりません。
高齢者の対策で手一杯の日本の予算に、障がいを持つ子どもまたは成人たちの保障を手厚くすることは可能なのでしょうか?
それをしなければならないのが国ですが。
社会という点から見れば、新型出生前診断で選択的中絶に触れることで、障がい者に対する保障に着手しなければならなくなるので、放っておく方が良いと考えているのかもしれません。
これはあくまで憶測です。
ただ、これだけ命の選別だと批判されている以上、国が動けば、いま日本にいる障がい者の保障を手厚くしなければならなくなる。
また、障がい認定されていなかった人もこれを機に、障がい認定を受けることになり、
国の財政負担はパンパンに膨れ上がります。
ですから、新型出生前診断に関しては学会に任せるとして、距離を置いています。
これを考えると、
「法整備や社会が先に整わないと、新型出生前診断をするのは良くない!」
という人に聞きたいのは、
「では、法が整備されるのはあとどのくらい後なのか?
それまでに、検査を希望する人たちのことなんてどうでも良いのか?」
という考えもあります。
社会が先に整うべきだとすると、
新型出生前診断が、受けられるようになるのにあと何年後にもなるでしょう。
その頃には、海外ではお腹の中にいる子どもの遺伝子を治療することが出来るようになっているでしょう。
こうした新型出生前診断に関する議論が大きくなることが、ますますこの検査を受けたいと思う妊婦さんや夫婦が受けにくい環境になるのです。
ですから、受けたい人は受ければいいし、
受けたくない人は受けなくて良い検査です。
でも、受けたいと思っているのに、受けられないことはとても残念なことです。
医療は、誰でも受けられるべきものです。
それを倫理観という言葉一つで蓋をしてしまうのは少々強引な感じもします。
法が整備されていないからこそ、夫婦または妊婦さんの知識と情報と選択力に委ねられているわけです。
つまり、今の時点で新型出生前診断を受けたいと考えるならば、この検査についてしっかり学んだ上で検査を受けなければ、取り返しのつかない状態になることを忘れないでください。
遺伝カウンセリングを受けることより、遺伝についての勉強会やセミナーを施設が行い、講習を受けた人は、検査を受けられるようにするのが今の社会の構造上、最低限の処置かと思います、
検査の結果、紙切れ一つで、どういう選択をすればいいのか迷ってしまうことは、母子ともに良いことではありません。
新型出生前診断は、希望をする妊婦さん、夫婦の知識力と選択力が問われます。
これだけは、絶対に忘れてはならないのです。
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2018.08.29 04:46